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百済歴史遺跡地区

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百済歴史遺跡地区
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住所

忠清南道公州市・扶余郡、全羅北道 益山市

問合わせ

韓国観光案内電話:+82-2-1330(日本語)

概要

百済歴史遺跡地区とは忠清南道公州市から扶余郡、全羅北道益山市にかけて分布している遺跡群を指しており、韓国の古代国家のひとつである百済の痕跡を窺い知ることができます。華やかな文化を花咲かせた百済の王宮や寺院の跡が見られるため、一度は訪れてみたい魅力的な観光スポットです。隣国との交流を通して発展した百済の文化的価値がよく分かる遺跡で、特に中国・日本などとの相互文化交流の証拠となる点が高く評価され、世界遺産に登録されました。

百済歴史遺跡地区は公州公山城(コンジュ・コンサンソン)、宋山里(ソンサンニ)古墳群と武寧王陵(ムリョンワンヌン) 、官北里(クァンブンニ)遺跡と扶蘇山城(プソサンソン)、定林寺址(チョンリムサジ)・定林寺址五層石塔、陵山里(ヌンサンニ)古墳群、扶余羅城(プヨ・ナソン)、益山王宮里(イクサン・ワングンニ)遺跡、弥勒寺址(ミルクサジ)の計8つの遺跡で構成されています。

公山城(コンサンソン)は百済時代には熊津城(ウンジンソン)と呼ばれていましたが、高麗時代以降に公山城と呼ばれるようになりました。公山(コンサン)の頂上から西側の峰までを囲む山城で、歴史的な価値が高いこともさることながら、夜景が美しいことでも知られており、多くの観光客が訪れています。

武寧王陵(ムリョンワンヌン)は百済の第25代王である武寧王と王妃の墓です。古代の墓の中では珍しく墓に眠る人物が明らかになっているもので、盗掘などの被害がなく、完全な状態で発見されました。4,600点の遺物が出土し、歴史的価値はもちろんのこと、美術史研究にも貴重な資料となっています。

扶蘇山城(プソサンソン)は百済が遷都して滅亡するまでの123年間、百済の都だったところで、当時は泗沘城(サビソン)と呼ばれていました。ここは百済の歴史の最後となったところで、3,000人の宮女が身を投げたという伝説が伝わる落花岩(ナックァアム)は景色の大変素晴らしい場所です。

弥勒寺址(ミルクサジ)は百済時代最大の寺院である弥勒寺(ミルクサ)があったところで、ここの見どころは石塔と幢竿支柱(タンガンジジュ)です。石塔は韓国最古・最大のものであり、東塔は1993年に復元され、西塔は現在復元中です。幢竿支柱は保存状態がよく、文化遺産として価値が高い遺跡です。

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